田園交響曲を涙なしに聴くことができない人がベートーベンを語るとは!>
私が「交響曲全9曲の中では、一番つまらない交響曲・・・と言うのは、少し極端な言い方ですが、この「田園」は、私にとっては非常に評価がしにくい曲なのです。」と書いたからでしょう。
音楽は聴く人によって好みも異なりますし、解釈もいろいろだと思います。「つまらない曲」と書いたのは確かにまずかったとは思いますが、「田園」という曲をどう解釈して聴くかだと思います。つまらないとは書きましたが、深い曲だと思っているからこそ、たくさんの演奏を聴いています。
内緒さんの、録音の中で、推薦できる「田園」の演奏を教えていただければ、その演奏をまた聴いてみたいと思います。
田園交響曲を涙なしに聴くことができない人がベートーベンを語るとは!
真に芸術と呼ばれるもの、数百年にわたって聞き継がれるもの。
そういうものが「好き嫌い」で語られることにうんざりしています。
そういう人には「歌謡曲」もベートーベンも同価値なのでしょう。
音楽にはノーベル賞がありませんが、例えば文学では文学賞があります。
すべての小説が「好き嫌い」で語られるのであれば、絶対的価値序列などありえず、「ノーベル文学賞」など選定不可能なはずです。
小うるさい反論は十分予想できますが、断言しますと「芸術」と呼ばれるものには価値の序列があります。
そうでなければ「芸術」というもの、例えばベートーベンだけが当時数千人もいた作曲家のなかで唯一聞き継がれているのでしょうか?
なぜ当時もてはやされたサリエリは聞かれなくなり、モーツアルトは聞き継がれているのでしょうか?
「音楽は個人の好き嫌い」であれば、この現象は説明できるのでしょうか?
その理由はただ一つ、数百年に一度しか生み出しえなかった奇跡的に普遍的に突出した音楽を書いたからです。
意外にも、我々が様々な場面で耳にする作曲家名の頻度は、その普遍的価値序列に比例しています。
私ははっきり作曲家に序列をつけています。
これは高校生のときからほとんどかわりません。
第1順位;バッハ、ベートーベン、モーツアルト
第2順位;シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、・・ブラームス・・
といった風です。
そして、この「価値の序列」、一言でいえば「良し悪し」がいえないひと・・要するにこういう人は「クラシック音楽(私は芸術音楽と言っています)」がわかってはいないのです。
私がそういう芸術音楽に何を聞き取っているのか・・
これを表現した言葉は次のニーチェの言葉以上にぴったりとした表現を知りません。
「私は音楽と涙との区別がつかない・・」(「この人を見よ」)
例えば私は最近、ベートーベンの運命とブルックナー交響曲7番しか聞きませんが(いずれも中学高校以来数百会、もちろん暗記していますから脳内演奏も含めたら数千回聞いていますが)、聞くたびにほとんどいつも涙が出ます。
それはモーツアルトでもバッハでもベートーベンのほかの作品でも同じです。
涙が出ないような作品が芸術と呼べるでしょうか?
「数万人の涙を期待しえない作品を作るべきではない」といったのはだれでしたか?
なぜ「芸術」は「芸術」という言葉で呼ばれるのでしょうか?
田園交響曲ですが、この曲との出会いは中学生の時でしたが、完全に理解したのは高校生の時でした。
それ以来特に第1楽章と最終楽章は涙なしには聞けません。
「論語読みの論語知らず」な現象は昔からあったようですが。
「どの演奏なら感動できるか」ということですが、優れた聞き手なら演奏の出来不出来など些細なことです。
ワーグナーは、ブルックナーの第3交響曲のスコアを見て直ちにこの作曲家の才能を見出しました。
あなたのいう「優れた演奏」を聞くまでもなく。
>HOUKOUさん
おはようございます。HOUKOUさんの芸術としてクラシック音楽についてのお考えを説いていただきありがとうございます。またご意見をいただき感謝します。
このようなお話をうかがうと、クラシック音楽に浅学の私がクラシック音楽について投稿するのは抵抗を感じてしまいます。
私のブログは元々、自作真空管アンプのブログです。
クラシック音楽のブログを書かれておられる方は、皆さんかなりの知識を持っておられる方が多いようです。
もう、これからはクラシック音楽についての投稿はやめようかな・・・とも感じています。
私の無礼極まりない書き込みにも、ご丁寧な判事ご返事いただきまして、大変恐縮しています。
あのような書き込みが非常識であることは承知しています。
私も普通は理性的な人間なのですが、つい長年(40年以上)の鬱憤が破裂してしまいました。
その鬱憤といのは、これまで出会った数多くの「クラシック音楽が好き」という人のほとんどが、クラシック音楽を単なるエレガンス趣味、懐古趣味としてしか理解していないことでした。
トスカニーニが、ある演奏会を聞いた時の言葉が、こういう私の心境をよく表しています。
「演奏が終わり聴衆は拍手した。しかし私は泣いていたのだ。」


私が言いたかったことは、「芸術」が持つ本来の意味、力というものが、あまりにも理解されず、理解されないまま人々が饒舌の限りを尽くしている現状が嘆かわしいということです。
数々の失礼の段お許しください。
今後のご活躍をお祈りしています。

私のブログですが、クラシック音楽については浅学ながら、勝手に自慢話のように、単に多く持っているCDや、LPの紹介などを行ってきましたが、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の投稿をきっかけに多くのご意見をいただきましたが、音楽については素人であり、クラシック音楽を専門的な面から投稿できませんし、コメントをすることに抵抗を感じるようになったのは事実です。
そのようなわけで、クラシック音楽の投稿はしばらく休止しようかとも考えています。




今回、頂いたコメントは誹謗中傷や、反社会的な発言ではありません。このようなコメントをいただいたことに感謝しています。大変勉強になりました。
しかしながら、このようなコメントに対して、私が返信コメントを書くだけのクラシック音楽や、芸術に対する知識が浅学で大変困ってしまいました。
ブログは書き手が勝手に書き、読み手も勝手に解釈するものであり、その中でコメントなどで意見交換や情報交換を行うものですから、趣味のブログとしては楽しいものです。
その中で自分にとって嫌なコメントや誹謗中傷なら削除もできますし、コメントを承認制にしても良いのです。
今回は単に私がクラシック音楽の投稿に対して書く気持ちが少しなくなっただけです。

